明治時代の北海道開拓に深い影響を与えた御雇外国人。
どうして北海道に外国の人がはるばるやってきたのか、北海道で何をしていたのかについて、簡単に分かりやすくまとめました。
難しい話は読みたくない!要点だけ知りたい!という方にオススメです。
御雇外国人(おやといがいこくじん)って?
北海道の開拓について色々相談に乗ってくれたり、指導してくれる先生のような存在です。
幕末のドタバタを経て、外国とも渡り合って行かなければならない事になった日本は、
外国に留学生を行かせて、文化などについて勉強していました。
特に早くなんとかしたい!と思っていたのが北海道や樺太(現・ロシアのサハリン)を開拓する事だよ
北海道は本州と気候とか全然違うから色々分からない事だらけだったんだろうね
明治時代以前から、松前氏がいた函館や江差などの道南地方は稲作なども積極的に行われいました。
しかし、道南以外は、本州から移住して生活するのが、中々難しい土地として見られていました。
江戸時代に何度か集団で移住してみてるけど、ほとんど失敗に終わってます。
そのため、北海道と似た気候な外国の人に色々教えてもらったら良いんじゃないか?という事で専門家な先生を呼ぶ事にした形です。
留学生行かせるより、外国の先生連れてきた方が早いもんね
という訳で
開拓使の偉い人・黒田清隆が明治4年にアメリカから農務局長の長官、ホーレス・ケプロンを開拓使の最高顧問
として招きました。
開拓使による御雇外国人の最初の人、とも言われています。
そして、土地の測量が得意な人や地質調査が出来る人など
様々な分野の人々が外国から雇われて日本にやってくるようになりました。
御雇外国人にアメリカ人が多い理由
開拓使に雇われた外国の先生たちは約80名で、その内の半分以上はアメリカ人です。
他にも、イギリスやドイツ、中国など多様な国から先生を呼んでいました。
アメリカ人多いのなんで?
最初に呼んだケプロンがアメリカの人だったからね
- ケプロンがアメリカから詳しい人をよく呼んでいたから
- 北海道から近いロシアを刺激しないように、当時はロシアと仲の良かったアメリカから人を呼ぼう!という考えがあったから
- アメリカと北海道の気候がよく似ていたから
などの理由があると言われています。
御雇外国人が北海道で行った事
外国から先生を招いて進めた事は、ざっくり言うとこの4つです。
北海道の調査
→北海道内の気候や地質・測量などを調べた
主要道路づくり
→札幌を北海道の主軸とした時、どこに道路があれば良いかを考え・調査して作った
官営工場の建設
→開拓使による官営の工場を作って、生活に必要な物や売り物を作る場所を用意した
官営の学校(後の札幌農学校)づくり
→農業など北海道を開拓するのに必要な知識を教える学校を作った
北海道の開拓の基盤を作った、っていう事なんだね
この時の色んな事が今の北海道の農業や産業などにも大きな影響を与えています。
最後に
北海道の開拓使時代に関係が深い、お雇い外国人がどんな人達だったの?
について、かなり簡単に要点だけまとめて紹介しました。
特に有名な、ホーレス・ケプロン、ウィリアム・スミス・クラーク(クラーク博士)、エドウィン・ダンについてはコチラをどうぞ↓↓