北海道の歴史として江戸時代末期から明治開拓期な話がよく出てきます。
しかし、それ以前からアイヌ民族と交易は行われていたし、本州からの移住者はいました。
鎌倉時代には罪人の流刑地ともされていました。
おおまかに江戸時代以前の本州からの移住者の歴史についてまとめてみました。
まとめる主な内容として、アイヌの人々との関係については今回割愛しています。
あくまで本州からの移住者と、本州と北海道の関係について主軸をおいているのでご了承下さい。
便宜上、時代問わず北海道は北海道として表記しています。
本州から北海道へ移住した人々
鎌倉時代前~
鎌倉時代前頃から北海道に住んでいた人々は、日の本・唐子・渡り党という3種類に大きく分けられていました。
それぞれについてまだはっきりとわかっていない事も多いものの、渡り党に関しては本州からの移住者となっています。
1180年代
源頼朝が奥羽を平定した際に、奥州藤原家の家来が北海道へ
1200年代
鎌倉幕府が強盗・盗賊・海賊など罪人を数10人単位で何度か北海道へ島流し
1400年代
安東盛季たちが南部氏に攻め込まれて北海道へ。
鎌倉時代~室町時代前後の北海道移住は主に罪人の島流し・権力争いに負けて、という理由が大きかったんですね。
江戸時代~
商人が人を雇って林業や漁業を行っていたので、その出稼ぎで来たりで住み着く人も。
幕府の方針で何度か集団移住も行われました。
>>八王子千人同心って何?勇払・白糠・道南に入植した理由と結果
北海道と本州の交易
和食でだしを作るのに使われている昆布も、昔から北海道のものが使われてきました。
この昆布は主にアイヌ民族の人々と物々交換の交易の商品でもありました。
北前船って何?
明治時代以前の北海道と本州を繋いでいたものとして、北前船があります。
主に昆布やラッコの毛皮などをアイヌの人々などから買い取り、本州の産物や品物を売る交易船です。
本州の主要な港と北海道の箱館などの港を行き来していました。
近江商人と北海道の関係
近江(現在の滋賀県あたり)の商人が北海道へ品物のやりとりをしに来ていました。
そのため、明治時代に北海道を開拓する為に移住者を募った際、東北に次いで近江地方も移住希望者が多かった特徴があります。
明治時代以前の場所請負制度の中で場所持ちになった商人もいました。
場所請負制度って?
松前藩がお米の取れない北海道で、給料として商いをする場所の権利を与えていました。
この制度は明治時代に入ると廃止されます。
しかし、場所があった所は発展していたので、かつて場所だった地域を中心に栄えていった地方もあります。
最後に
明治時代以前の北海道の移住と本州との関係について簡単にまとめてみました。
この辺の歴史を知る為にも、道南の松前・江差などに行きたくて仕方ありません。
以上、北海道の歴史を知るのに博物館巡りが趣味な十勝民・おかめでした。