競馬やウマ娘でも北海道日高産のサラブレッドがたくさん活躍していますよね。
どうして日高はサラブレッドの産地に適しているか、知っていますか?
と気になったので、軽種馬の産地・日高で馬産の歴史について触れて来ました。
新冠に牧場があった、浦河に軍馬に関係する施設があった、という程度しか分かってない状態の人間でしたが、そもそも日高に野生化した南部馬がいた事も大きな理由の一つだったという事などを学んできました。
新冠や浦河の馬の歴史や日高が馬産地になったワケなど、個人が勉強した事を簡単にまとめてみたいと思います。
- なんで日高といえば馬産なの?
- 新冠御料牧場ってなに?
- 浦河も軍馬の関係があったの?
- 軽種馬と重種馬とドサンコって何が違うの?
- 日高で馬の歴史を満喫したい
という時の参考に少しでもなれば幸いです。
実際はもっと日高と馬に関する施設があるのですが、私が行った所の感想がてらまとめた日記になっています。
また、紹介した施設につきましては開館状況など、事前に確認する事を強くオススメします。
日高=馬の産地なのは何故?
野生化した南部馬がいたから
- 漁業で出稼ぎに来る本州の人々が南部馬を連れてくる
- 松前藩が移動に使う為に日高に南部馬を放した
などの理由で、南部馬が江戸時代には道南地方や日高にはいたそうです。
そして、馬にとってちょうど良い場所だったので野生化。
時間をかけて北海道に慣れて行った結果、南部馬とはちょっと違う品種な馬になっていきました。
北海道和種とも言われる、どさんこの誕生です。
このどさんこがいた事で、後に牧場が作られる事になっていきます。
ちなみに、室町時代からちょっぴりではあるももの、馬は北海道に連れてこられていたようです。
日高の気候が丁度良いから
- 夏は気温が低く、冬も割と暖かく馬が過ごしやすい
- 冬の雪も少ない
- 日高山脈から近く、丘陵地帯が広がっていて馬が生活しやすい
- 川の水にカルシウムなどの栄養素が豊富に含まれていて、良い牧草が生える
などの理由から、日高地方は馬にとって丁度良い場所なんだとか。
だから野生化もできたワケですね。
官営・皇室関係な牧場が作られたから
新冠→開拓使が作って、皇室の牧場になった新冠御料牧場
浦河→陸軍の馬政局の関係する日高種馬牧場
が明治時代に作られました。
太平洋戦争の後にはそれまでの馬産の経験から、優れた競走馬の産地として名を馳せる事になります。
中央競馬会の設立や昭和40年代の競馬ブームによって、更に馬を作る農家が増え、今のサラブレッドの主要産地へとなっていきました。
JRA日高育成牧場もあり、今の日本のサラブレッド主の約8割は北海道・日高で産まれているのだとか。
軽種馬と重種馬とドサンコの違い
馬の話に関係して、軽種馬と重種馬とドサンコの違いを軽くまとめてみました。
テレビなどでJRAの中継と帯広ばんえい競馬の中継を見比べてみると、そのサイズ感がよく分かってすごく楽しいのでオススメです。
今では、ドサンコはあまりお目にかかる機会が少ない存在となっています。
現在では主に道南で飼育されているそうですが、その個体数も少ないのだとか。
新冠と浦河と馬との歴史
新冠と馬な歴史
江戸時代には新冠にも会所があり、そこでも馬は飼われていました。
そして、明治時代には開拓使によって馬の生産と品種改良の為に官営の牧場が開かれます。
- 明治5年 黒田清隆によって牧場が作られる
- 明治10年 新冠牧場と名を変え、エドウィン・ダンも指導していた
- 明治21年 新冠御料牧場になり、宮内省(皇室)の牧場として御料馬や軍馬の生産
- 昭和22年 太平洋戦争の後、解放されて開拓が進む
1872(明治5)年に、アメリカから招いた農業や畜産の先生、ケプロンの意見も参考に新冠に後の御料牧場となる新冠牧場開設が開設されました。
敷地面積の多くが新冠だったり、本部建物が新冠にあったりで新冠の名前が付けられています。
開設当初は、その辺にいた野生化している馬を柵の中に集めて作られた牧場だったのだとか。
そして外国の馬、サラブレッドやトロッター、アングロアラブなどの品種の馬と交配させて軍馬に向く馬の生産を積極的に行うようになっていきます。
そして、太平洋戦争後に御料牧場は民間に開放され、満州や樺太から引き揚げてきた人々などによって開拓されていきました。
今では、新ひだか町に家畜改良センター新冠牧場として馬産の役割は引き継がれています。
浦河と馬な歴史
江戸時代末期、1857(安政4)年に開かれた場所でも馬の牧場が作られていたり、浦河も新冠同様、昔から馬に関係がある地域でした。
外国との交流を経て、日本は軍馬の生産に力を入れる必要性を知りました。
そこで、明治40年に優れた軍馬の生産を目指して全国に牧場などが作られる事になります。
浦河には優れた軍馬の生産を目指す日高種馬牧場が開設がされました。
人間が乗る用の軽種馬、軽輓馬用の馬が主に生産されていました。
そして戦後は競馬ブームなどの影響もあり、日高の馬産は優れた軍馬から優れた競走馬へと変わっていき、今の馬産王国な日高が出来上がっていく事になります。
新冠町郷土資料館
見どころポイント
- 無料で入れる
- 江戸時代からの新冠の歴史に触れられる
- 新冠御料牧場について学べる
- エゾオオカミの再現模型があったり
- 新冠の自然や近隣の地形についてなどが分かる
場所
開館時間
- 開館時間 9時~16時半
- 休館日 日・月曜日・祝日・年末年始
道の駅サラブレッドロード新冠
競馬で良い記録を出した馬たちのプレートがずらっと並んでいたり、銅像が建っていたり。
道の駅の売店では馬なお土産ものが多く目につきました。
レ・コード館、という大きな建物も近くにあり、時間があれば覗いてみたかったです。
ピーマンソフトはどんな味がするのでしょうか。気になります。
場所
浦河町立郷土博物館
見どころポイント
- 無料で見学できる
- 浦河の歴史が学べる
- 動物の剥製もぎゅぎゅっと詰まっている
- 漁業の道具が盛りだくさんで面白い
- 明治時代に浦河の開拓に貢献した赤心社などについて知る事ができる
馬の歴史は馬事資料館に全部分けてるんだろうな、というくらいに馬以外の浦河な話がたくさんでした。
先人カードでは赤心社の一員だった澤 茂吉さんのカードが貰えたり。
特に漁業関係で、カニやタコを捕まえるカゴやハコに興味が湧きました。
また、博物館の入り口前には優駿の門が建っています。
門の上には馬が並んでいて、下から馬を見上げる、という滅多にないシチュエーションが楽しめます。
晴れた空をバックに見られたので、爽やかさもありました。
場所
開館時間
- 開館時間 9時~16時半(12~3月は9時半から)
- 休館日 月曜・祝日、年末年始
馬事資料館も同じ敷地内に建っています。
馬事資料館
見どころポイント
- 浦河×馬の歴史が年表や詳しい解説でよく分かる
- ヒンドスタンの剥製がある
- サラブレッドとドサンコの骨格標本がある
- 実際に使われていた馬車が見られる
- ヒンドスタン&シンザンは凄い馬なんだ!!
- 馬をモチーフにしたおもちゃなどなど
JRAが好きとか、ウマ娘にドハマりしてる!という状態で行くと、すさまじく楽しめたんだろうなと思います。
もちろん、単に馬に興味がある&馬の歴史が気になってる、という私のような人間でも、すごく楽しかったです。
イギリス生まれの馬。
1955(昭和30)年に日高軽種馬振興会に買われて浦河に来た。
シンザン号などの競馬史に名を残した馬たちのお父さん。
1960年代に活躍した競走馬。
有名な8つの賞のうち、5つで勝ち、五冠馬と呼ばれた。
サラブレッド、軽種馬の最長寿記録も更新したすごい馬。
という事を知れて勉強になりました。
で、ヒンドスタン号の銅像があるって話を知ってるんだけど、どこにあるの?と探してみると…。
博物館とはちょっと離れた福祉センターにいました。
博物館の敷地内にいるとばかり思っていたのでUターンして見て来ました。
十勝の馬と言えばイレネー号なので、是非とも見比べがしたくて見に行ってみた次第です。
ちなみに、こちらが重種馬(ペルシュロン種)なイレネー号。
帯広ばんえい競馬場内で見られるので、立ち寄った際にぜひぜひ。
最後に
日高で馬産な歴史について触れてきた感想まとめでした。
車窓から見える景色も、馬が放牧されている様子が見えて、馬王国!な感じがひしひしと感じられました。
また、全然馬と関係ないところで驚いたのが、ちょいすという回転寿司屋さん。
十勝で見た事のないお店だったので入ってみましたが、そのメニューの幅には衝撃でした。
お腹がいっぱいになりつつある時に気づいたので、今度行った時には最初からちゃんと楽しみたいと思いました。
以上、十勝で見かける牛がたくさん、という風景が馬がたくさん、に変わったような車窓から見える日高の牧場にカルチャーショックを感じてきた十勝民・おかめでした。
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