北海道の開拓の歴史の中でも特に監獄についての話が気になっている北海道民・おかめ(@okame_0515)です。
2020年は十勝監獄や屯田兵など、北海道開拓の歴史について深く勉強する事が出来た一年になりました。
特に勉強した十勝監獄などについて、記事をまとめてみました。
外に出掛けにくい年始って暇!という方、
北海道の歴史で暇潰しなんていかがでしょうか。
北海道に監獄があった理由と歴史
そもそも、北海道に監獄が作られたのは、囚人の力を使って北海道の開拓を進めるためでした。
幕末・明治初期な北海道では道南の地域以外は、ほとんど海岸に場所と呼ばれる交易の場があるだけで、内陸はほとんど原野だったと言われています。
ロシアなどの欧米諸国に渡り合って行く為に明治政府は北海道開拓に力を注ぎました。
- 屯田兵
- 本州からの移民
- 監獄の囚人たち
そして時にアイヌの人の力を借りながら、北海道の開拓は進みました。
十勝監獄の他に、一番最初に作られた樺戸監獄や釧路集治監、空知集治監、網走監獄もありました。
十勝監獄について
今では食糧基地と呼ばれる十勝も、かつては原野が広がっていました。
明治期に本州から移った人々が、土地に住んでいるアイヌの人々の力を借りたりしながら、開拓を進め、今の十勝に繋がっていると言われています。
しかし、実際にはその十勝の開拓や発展にも、監獄は大きく関わっています。
十勝に監獄が何故作られ、何を作ったのか、どんな形で十勝の開拓に関わったのか、調べてまとめた事をまとめてみました。
グリーンパーク、緑ヶ丘公園と呼ばれている場所に、かつて十勝監獄がありました。
今でも、その名残を見る事ができます。
糠平の山に十勝監獄が道を拓いた事に関する石碑も残されています。
屯田兵について
給料などを貰いながら、土地を守る為に兵士として働き、開墾もしていました。
監獄の囚人たちよりも自由はあったかもしれませんが、屯田兵の暮らしも決して楽なものではなかったようです。
屯田兵よりも前に、江戸時代に蝦夷開拓の為に入植をした集団もいます。
八王子千人同心、という半分武士・半分農民な人々です。年月をおいて2度入植が行われていました。