十勝・帯広市にある大きな公園、緑ヶ丘公園。
春には桜を楽しめるお花見スポットとして、
冬には氷まつりの会場としても帯広市民に親しまれている場所です。
おびひろ動物園や帯広美術館、児童会館がある所ですね。
この公園の中には『十勝監獄跡』と書かれた石碑があります。
この石碑の近くにはレンガ作りの建物もありますが、そちらも十勝監獄ゆかりのものです。
- 十勝監獄があったのはなんで?
- 十勝監獄と帯広の関係は?
- 百年記念館で十勝監獄の展示が見られる
事などについて、簡単にまとめてみました。
※時代によって十勝監獄の名称に変化がありますが、十勝監獄としています。
緑ヶ丘公園は十勝監獄の跡地
緑ヶ丘公園に監獄はどう建っていた?
もの凄くざっくり言うと、グリーンパークから下、児童会館から左の、道路までの部分に十勝監獄の主要部分がありました。(上記公園案内図参照)
獄舎や庁舎の他に多数の作業工場があり、周囲は高い塀で囲われていました。
- 百年記念館
- 広場(冬になるとスケートリンクになるところ)
- 緑と花のセンター
のあたりに十文字型の獄舎が2つ並んで建っていたそうです。
- パークゴルフ場
- ステージのある広場 の辺り
百年記念館の十勝監獄に関する展示の中で、監獄内に関する地図を見る事もできます。
この辺にこんな感じで建ってたのかも?と妄想を繰り広げるのにオススメです。
どうして“緑ヶ丘”っていうの?
明治時代、今の緑ヶ丘公園は十勝監獄の敷地の一部でした。
時代の流れと共に、どんどん監獄の敷地が民間などに使われるようになっていき、最終的に今の緑ヶ丘公園になっています。
- 緑ヶ丘公園ができた昭和初期、帯広の町議会の人たちが公園整備に力を入れていた
- 特に小泉 碧という議員の功績が大きいという事で“みどり”にちなんで緑ヶ丘公園と呼ばれるようになった
公園が開かれた当時は、野球場や陸上競技場もあったり、今とは全く違う様子だったのだとか。
ちなみに、緑ヶ丘公園と呼ばれる前は監獄高台と呼ばれたり、南公園と呼ばれていたりしたんだそうです。
十勝監獄、という名称から帯広刑務所に変わっていますが、高橋まんじゅう屋の包装紙でバッチリ確認する事ができます。
緑ヶ丘公園で見られる十勝監獄の跡
緑ヶ丘公園で見られる十勝監獄の跡を簡単にまとめてみました。
- 石碑
- 石油庫
- レンガ窯の跡
- 炊事場カマド跡
↓オレンジ丸に白い星の目印がついている部分です。
十勝監獄跡の石碑
帯広刑務所が移転した後に作られた、十勝監獄がここにあった事を示す石碑です。
三つの石が組み合わされている不思議な形をしています。
十勝監獄の来歴も簡単に説明されているので、時間がある時に読んでみるのも面白いのでオススメです。
ちなみに、氷まつりの時には会場入り口付近にあたります。
十勝監獄の名残・十勝監獄石油庫
昭和57年、帯広市では一番目の市指定文化財になりました。
明治34年(1901年)に十勝監獄のレンガを使って作られたとされている、フランス積み工法で作られたレンガ作りの建築物です。
名前の通り、灯油の保管などに使われていたのだとか。
グリーンパークの道から見ると石油庫の後ろ姿を見る形になります。
レンガ窯跡
木が茂っているのでよく分かりにくいですが、説明パネルの後ろあたりを見ると、地面が盛り上がっているのが見えます。
そして私の写真センスのせいで更に分かりにくくなってます。気になる方は現地へ行きましょう。
草木が茂っている中にぽつん、と白い標柱が建っていました。
こちらから見ても、草木が茂っていてイマイチ分かりにくいのが残念です。
北海道内の監獄でレンガ窯跡が残っているのは珍しい事なのだとか。
実際に監獄で焼かれたレンガがどんな感じだったのか見たい!という方は百年記念館で見る事もできます。
また、月形樺戸博物館に行くと、囚人が作った様々なレンガを見る事ができました。
詳しく知りたい!感じたい!という方にオススメです。
ちなみに、月形樺戸博物館では十勝監獄で使用されていた装置も見る事ができます。
北海道の明治時代を舞台にした漫画・ゴールデンカムイで網走監獄が登場した際には、囚人を一斉に逃がす為に使われていました。
炊事場カマド跡
十勝監獄の炊事場のカマドであった、と思われる場所が道にペイントされています。
平成26年(2014年)公園内のバリアフリーに関する工事の際に、出てきた遺構だったのだとか。
この時発見されたレンガなどは百年記念館で見る事ができます。
公園内の池は十勝の形?
緑ヶ丘公園が十勝監獄の敷地から、市民の公園と姿を変えたのは、今から約90年前の昭和7年(1932年)頃のことです。
公園整備にも囚人たちの力が使われたそうですが、この池も彼らの手で作られたと言われています。
池は十勝の形で、浮かぶ島は帯広を示しているという説や、元々は北海道の形をしていた、とも言われています。
十勝監獄に関する展示がある百年記念館
- 十勝監獄の写真
- 囚人たちが拓いた道の紹介
- 十勝監獄の土地だった場所の地図
- 十勝監獄の建物がどの辺に建っていたかの地図
などなど、月形樺戸博物館や網走監獄博物館に比べれば規模は小さいですが、明治時代の緑ヶ丘公園を考えるにはぴったりかと思います。
帯広市内で見る十勝監獄の名残
三井金物店(現・六花亭ホール)
1912年(大正元年)に建てられた、旧三井金物店。
今は六花亭が所有しているそうですが、こちらのレンガは監獄製のものだと言われています。
私は中に入った事がありませんが、家族が学生の頃、合唱の発表会をしに行っていた記憶があります。
北海道の中の十勝監獄
十勝監獄ができるまでの流れを簡単にまとめてみました。
北海道に5番目にできた監獄
今から100年以上前の明治26年に北海道集治監 釧路分監 帯広外役所ができました。
何度か名前が変わって、十勝監獄となりました。
北海道の開拓の一部には、安価な労働力として、本州で罪を犯して北海道の監獄に収監された囚人を利用していました。
北海道にあった監獄(集治監)は十勝を含め、全部で5つありました。
十勝以外の監獄は以下の通りです。
明治36年に制度が変わり、集治監という名称から監獄へ変化
※空知と釧路は制度が変わる前に廃止されたので、便宜上、集治監としています。
樺戸監獄(現・月形町)
空知集治監(現・三笠市)
釧路集治監(現・標茶町)
網走監獄(現・網走市)
- 北海道の中では一番最初、明治14年に作られた。
- 現在の月形町にあり、跡地に月形樺戸博物館がある。
- 現在の三笠市に明治15年に作られた。
- 1901年に廃監の後、今では三笠ジオパークで紹介されている。
- 現在の標茶町に明治18年に作られた。
- 釧路集治監の収容人数が増えたなどの理由で、網走分監、十勝分監が作られる。
- 1901年に廃監となり、網走に引き継がれた。
- 現在の網走市に明治24年に網走分監として作られた。
- 大正11年に制度が変わり、網走監獄から網走刑務所へ名前が変わる。
上記の監獄(集治監)の5番目として十勝監獄が作られました。
ホントは一番最初に十勝に監獄が出来てたかも?
集治監を作る場所の候補、最初は3つありました。
- 後志地方・羊蹄山の麓
- 十勝地方・十勝川の沿岸
- 空知地方・石狩川の上流
集治監を作るのに適した場所を選ぶために月形潔(樺戸集治監・初代典獄)たちが各地を見て回りました。
そして、石狩川の上流・須部都太(スベツブト)=現・月形町周辺が適した場所だと決めたので、樺戸集治監が作られました。
- 未開の土地過ぎて道も無いから不便
- 沿岸が遠浅で船を使うのも不便
だったからだと言われています。
未開すぎても、栄えすぎてもダメだった、という事ですね。
十勝監獄に関わった人々
十勝監獄と関わった人達の中でも、特に聞いた事のある名前の人達についてまとめてみました。
晩成社
十勝監獄の前身が入る約10年前には帯広に入植していました。
しかし、海へ繋がる道がない事や、度重なる自然災害などの影響で思ったように開拓事業を進める事はできていませんでした。
監獄用地の選定には、依田勉三や渡辺勝たちが立ち会っています。
晩成社幹部の1人だった鈴木銃太郎は、同じくキリシタンであった黒木典獄と親交があったと言われています。
監獄で開かれた集会に参加するなどしていたのだそうです。
十勝帯広の開拓自体は失敗続きだったものの、名前は今でも有名な晩成社。
監獄との対比を考えながら見ていくと面白いです。
大井上輝前
十勝監獄にする土地の選定に関わった人物です。
また、北海道の集治監の歴史に名前が強く残っている典獄の1人です。
- 釧路集治監の典獄だった時には硫黄山での過酷な囚人使役を
- 空知集治監の典獄だった時には幌内炭鉱での囚人使役を
止めさせるために奮闘しました。
囚人の更生の為にキリスト教での教誨を薦めたり、外国で経験した野球を導入して精神面の改善に努めたとも言われています。
黒木鯤太郎
十勝分監長として、十勝監獄初代典獄として、約5年十勝監獄に勤務していました。
特に十勝監獄の歴史に関する事で名前を見る事が多い人物です。
囚人の更生の為に尽力し、外の世界に出た後も支援できるようにしました。
ピアソン夫妻が十勝監獄で教誨をしたのも、黒木典獄がお願いをしたからだと言われています。
最後に
帯広・緑ヶ丘公園で見られる十勝監獄の跡について、簡単にまとめてみました。
お散歩がてら十勝監獄見て回るのも楽しいんじゃないかと個人的にはオススメです。
また、もっと詳しく十勝監獄について知りたい!北海道開拓と監獄が気になる!という時には、
- 網走市の網走監獄博物館(囚人の生活がよく分かる)
- 月形町の月形樺戸博物館(北海道にあった監獄などがよく分かる)
に行って見る、というのもオススメです。
以上、北海道開拓期の歴史が気になって仕方無い十勝民・おかめでした。
実は上士幌町や音更町にも十勝監獄に縁のある史跡があるので、ドライブがてら如何でしょうか?