十勝といえば有名なお菓子屋さん、六花亭。
この六花亭には素敵なお菓子の詰め合わがあります。その名も、十勝日誌。
個性的な空き箱が再利用されている事も結構多いですね。
この十勝日誌は北海道命名の偉人・松浦武四郎と十勝開拓の先駆け・依田勉三と、とっても深い関係があるんです。
十勝や北海道の歴史勉強のきっかけにも丁度良い、六花亭の十勝日誌について、語ってみたいと思います。
- 六花亭のお菓子の詰め合わせが欲しい
- 十勝日誌ってなんで変な箱に入ってるの?
- 依田勉三と関係のあるお菓子が知りたい
と思っている方の参考になれば幸いです。
六花亭の十勝日誌って?
六花亭の美味しいお菓子の詰め合わせ、十勝日誌。
十勝の人にとっては、お土産に買って行くものだったり、何かお礼をする時に買う、という印象が強いのではないでしょうか。
依田勉三の本を読んで、大好きな松浦武四郎の先人カードを入手したのもあり熱が抑えきれず、
十勝日誌を買いました(*´-`)
(やっちゃった)菓子折りとして買う事はあるものの、自分用に買ってしまったのは初めて👼
中の小冊子にあるお菓子の説明に心がやられます。#十勝 #六花亭 pic.twitter.com/jyIje9PfsH— おかめ (@okame_0515) January 29, 2020
本のような形の箱に、お菓子がたくさん詰まっています。新商品やその時の人気状況、価格などによって内容が変わっている様子です。
十勝日誌を買うには?
北海道内の店舗で買える他、六花亭の公式サイトから通販も可能です。
六花亭の花柄デザインなボールペン、マスキングテープやクリアファイルなどの文房具の他、クッションなども買えるようになっています。
十勝日誌は入っているお菓子の個数で金額が変わります。
入っている箱のサイズも徐々に大きくなっていきますよ。
2人で賞味期限内に食べきるにはちょっと多いかな?くらいの量でしょうか。
詳細は六花亭の公式サイトを要チェックです!
そして実は、十勝のふるさと納税でも六花亭の十勝日誌をゲットできちゃいます。
十勝日誌と松浦武四郎
そもそも、十勝日誌とは江戸時代末期に描かれた、十勝地方の紀行文です。
この十勝日誌の著者が松浦武四郎です。
北海道がまだ蝦夷と呼ばれていた頃。
明治になるちょっと前の頃に、北海道内を見て回った人です。
北海道の今の地名も松浦武四郎がアイヌ語で聞いた地名が元になっています。
北海道の詳細な地図を作ったり、紀行文として“日誌”を作りました。
1858年頃の十勝の様子が記されていて、十勝でとれる黒曜石をトカチ石として紹介されていたりします。
百年記念館に行くと内容を読む事もできます。
この松浦武四郎の十勝日誌の表紙などを模して作られたのが、六花亭のお菓子の詰め合わせ、十勝日誌なのですね。
中の冊子に説明が添えられているので、気になる方は買って読んでみる事をオススメしたいです。
お菓子・北加伊道
十勝日誌の中に入っている、北加伊道。
こちらは北海道命名150年の年から発売が開始されていました。
ホロホロなパイ生地の中に、素朴な優しい美味しさのあんこが包まれています。
ちなみに、北加伊道といのは、松浦武四郎が出した、北海道という名前の原案となっています。
松浦武四郎について知るのにオススメはコチラの絵本↓です。
十勝日誌と依田勉三
十勝日誌の中には、十勝の開拓者・依田勉三に関係するお菓子も詰まっています。
どんなお菓子が関係しているのか、ざっくりご紹介しますね。
マルセイバターサンド
NHK朝ドラ『なつぞら』では、おじいちゃんが幼いなつとバターを作る話がありましたね。
おじいちゃんは、依田勉三のバターを食べた事がある、という話を聞かせていました。
その依田勉三の作っていた、バターの缶のデザインをあしらった包装のお菓子です。
サクホロなクッキーの間に、レーズンが入ったバタークリームが挟まっています。
常温だとホロホロな儚い感じが楽しめますが、冷やして食べるとしっとりした食感になります。
違った美味しさになって楽しいです。
十勝の歴史や、依田勉三のいた晩成社の事などを知るのにも百年記念館はぴったりです。
ひとつ鍋
小さな鍋の形をした最中の中に、あんこが入っている最中菓子です。
あんこの中には小さなお餅も入っています。
六花亭の創業者・小田豊四郎がひとつ鍋を作った際には、晩成社にあやかって名前をつけたのだとか。
このひとつ鍋という名前、依田勉三の詠んだ詩が元になっています。
“開拓(開墾)のはじめは豚とひとつ鍋”
という詩です。
- 開拓し始めの頃には豚とひとつの鍋があればなんとかなった!
- 開拓し始めの頃はひとつの鍋で豚と同じご飯を食べた!
という不屈の精神が表されている、とよく言われています。
しかし、実際のところはちょっと違ったようなのです。
依田勉三が率いていた晩成社は、明治時代の十勝に入植して、開拓を頑張っていました。
が、決してお金持ちではありませんでした。
作物を作ろうとしても、上手くいかなかったり、順調に育ってもバッタに襲われたりと大変な目に合う事ばかりだったのです。
それでも頑張っていた頃のこと。
豚に与える餌を作っていた渡辺勝とカネ夫妻の家で、晩成社の幹部たちがお酒を飲み始めました。
その中で、何かツマミが欲しいとなったのです。
カネが豚の餌としてホッチャレ(産卵後の鮭)を使っていましたが、それをツマミにしてはどうか?となりました。
そして、夫である渡辺勝がふざけて“おちぶれた極度か豚とひとつ鍋”と詠みました。
貧しくて豚と同じ鍋で作られたご飯を食べている、と言ったのですね。
依田勉三はそれはちょっと言いすぎだろう、という事でその時に居た人々で議論して
“開拓(開墾)のはじめは豚とひとつ鍋”に変えたと言われています。
開拓は最初うまくいかなった、でも、豚と一緒のご飯を食べるくらいの貧しさでも頑張っていたよね
という気持ちが込められていたのでしょう。
ちなみに、ひとつ鍋を箱で買うと表面には伊能忠敬達が地図を作る以前に描かれた北海道の地図を見る事ができます。
北海道の形が違ったり、北方四島や千島列島もしっかり書き込まれていたりとパッと見るだけでも楽しいですね。
書き込まれている地名や山の名前には現在も使われている物もあるので、じっくり眺めるとより面白いです。
大平原
広大な平原、十勝平野。
依田勉三の晩成社が生花苗(オイカマナイ・現大樹町)に牧場を開いた事が十勝の酪農の先駆けと言われています。
そんな気持ちが込められた名前の大平原は、バターがたっぷり使われたしっとりふんわりのマドレーヌです。
冷やすと固くなりやすいので、常温が一番。ふんわりしていて美味しく食べられます。
軽くトースターなどで温めても美味しいですよ。
明治時代に依田勉三の率いた晩成社は、最終的には大正時代の初期に倒産しています。
倒産時や依田勉三の死後などに、晩成社の保有地は売却されたり、晩成社に勤めていた人たちに分けられたのです。
分けられた土地で酪農や農作を頑張った人々の力で、今の十勝が酪農王国と言われるまでに押し上げられたとも言えます。
たくさんの人の努力の結晶が美味しい六花亭のお菓子に繋がると思うと、胸が熱くなってきます。
バレンタインの時期にはチョコレート味も出てました。
ガトーショコラみたいなねっとり感がめちゃくちゃ美味しすぎて、コーヒーとの無限ループで手が止まりません😋😋
写真撮る人間のセンスが悪いからアレですが、ハート型も入ってます👼
わやめんこいです。#六花亭 #バレンタイン pic.twitter.com/lRL3GfBmcS— おかめ (@okame_0515) January 28, 2020
とてつもなく美味しいので、オススメです。
最後に
六花亭の素敵なお菓子詰め合わせ・十勝日誌について、松浦武四郎と依田勉三の事を交えてまとめてみました。
そのまま食べてもどれも全部美味しいですが、二人の遺したものを知ってから食べると、美味しさが増して感じられます。
歴史の勉強がてら、十勝をめぐる観光がてら、楽しんでみては如何でしょうか。
六花亭の喫茶室もとっても素敵なのでオススメですよ。
以上、十勝民おかめでした。