開拓神社の御祭神の1人・佐藤信景。
江戸時代に釧路で米作りを成功させた、と言われています。
ただ、現代ではその存在が疑問視されていたりも。
そんな佐藤信景について、簡単にまとめてみました。
佐藤信景について
佐藤信景ってこんな人
- 1698(元禄11)年25歳で釧路・厚岸の阿寒岳南側で開墾
- 約3年頑張って穀物など米作りを達成!
したという経歴の持ち主です。
孫にあたる佐藤信淵(さとうのぶひろ)が土性弁という農業などについてまとめた本で功績を紹介しています。
江戸時代前半に北海道の道南以外で開拓&米作りに成功しているという存在が珍しく、
北海道明治期の開拓者たちの心の支えになりました。
おかめ
でもウソかもしれない疑惑が今では強い・・・
- 松前藩側に佐藤信景の事が載っていない
- 本に載っている地名が釧路・厚岸に存在しない
- 北海道での越冬について記述がない
- その農法でホントにできたの??
という内容だという事で、ほとんどでっちあげじゃないの?と研究者の間では言われているのだそう。
おかめ
函館や松前の方では江戸時代末頃には米作りが進められていたみたいだけど…
北海道の気候では米作りが出来ないと言われていた頃でもあるので、釧路で作れたという話は限りなく黒に近いグレーのようです。
しかし。
北海道での稲作に成功した人がいる!
というのは当時の開拓者たちの心の支えになった事は確かで、十勝開拓の先駆けになった晩成社の石碑の1つには佐藤信景の名前があります。
おかめ
明治後半に十勝で米作りを成功させた!という記念の石碑の文章が看板になってます。
十勝で頑張った依田勉三が、悲願の米作りを成功させた記念の石碑・幕別の途別水田碑にもその名前が残っています。
ただ、この石碑の説明では佐藤信景が米作りを成功させた、というよりは門下生が成功させた、という感じになっていますね。
今となっては真偽は限りなくグレーだけれど、その当時では北海道開拓の気持ちを奮ってくれる存在だった事がよく分かります。