明治時代の北海道を舞台にした漫画・ゴールデンカムイにもエドウィン・ダンをモチーフにしたと思われる、ダンという外国人が登場します。
エドウィン・ダンって聞いたらエゾオオカミの話が有名だよね
ストリキニーネ(猛毒)まいたっていう話ね
エドウィン・ダンはエゾオオカミを苦しめるのが目的で北海道に来た訳ではありません。
畜産、特に馬についての事を教える為に北海道へやってきました。
エドウィン・ダンがどんな人なのか、北海道での功績とエゾオオカミとの関係について、簡単にわかりやすく紹介したいと思います。
エドウィン・ダンって?
アメリカで家族が経営していた牧場で働き、畜産や馬について詳しくなった、現場たたき上げな人です。
ホーレス・ケプロンの息子によって開拓使に畜産に詳しい人として紹介されやってきたのでした。
来日した時はまだ20代半ばの青年ですって
牛40頭と綿羊91頭を引き連れて来日、東京で開拓使が行っていた東京官園で、農業や畜産の指導をしました。
1875年から開拓使が廃止される1882年までの7年間、
北海道で畜産の技術指導&馬の品質向上指導に力を注ぎました。
だからエドウィン・ダンは北海道酪農の父、って呼ばれてもいるね
北海道酪農の父は他にもいるから、お父さんの1人だね
馬がすごく好きで、乗馬も上手だったそうです。
エドウィン・ダンと北海道
七重(現・七飯町の一部)へ来た際に、馬匹改良の為に去勢手術を指導しました。
これが日本での初めての去勢手術だったそうな
1876年から札幌官園に勤務し、真駒内牧牛場や札幌牧羊場、養豚場などの牧場を建設しました。
家畜の飼育管理や、肉製品への加工、バターの作り方、プラウやハローなど馬に装着して使う洋式農業具の扱い方なども指導しています。
馬に装着して使う、洋式農業器具って?
ばんえい競馬の馬みたいに、器具をひきずったりして畑を耕してたって考えて貰えればいいと思うよ
この時作った真駒内用水がその後、水田に水を引くのに丁度良いとして、真駒内で稲作が広まるようになりました。
エドウィン・ダンとエゾオオカミ
日高・新冠にあった新冠牧馬場を整備、拡大する事もエドウィン・ダンが行っていました。
道産子と外国の馬を交配しての馬匹改良や、サラブレッドを飼ってより良い馬を増やそうとしていたのです。
この新冠牧場では、エゾオオカミによる馬への被害に困っていたそうな
約10日の間に、仔馬が90頭、エゾオオカミに襲われたという事もあったのだとか。
ここで出てくるストリキニーネが出てくるのね
馬を愛するダンはアメリカから猛毒のストリキニーネを取り寄せ、
肉に混ぜるなどして周辺のエゾオオカミを退治しました。
エゾオオカミが北海道から消えた理由
- 開拓使も家畜や産業を守る為にエゾオオカミ退治に積極的
- 天災による動植物への影響(食べるものが無くなった)
など、様々な事が重なり、今では北海道でエゾオオカミを見る事は無くなってしまいました。
家畜を守る為に積極的に退治したらエゾオオカミがいなくなる原因の一つになった、っていうことだね
安心して暮らす為にも必要だったんだろうけど…難しい話だね
北海道以外でも活躍したエドウィン・ダン
開拓使が廃止された後は一度アメリカに帰国。
その後、1884年にアメリカ公使館二等書記官として再来日します。
日清戦争が起きた時には日本の為に交渉に尽力し、公使を辞めた後は新潟で石油の会社を作ったり、三菱の造船所に勤務したり。
82歳で亡くなるまで、日本に居ました。
奥さん2人(1人目ツルさんは若くして病死・その後ヤマさんと再婚)も日本人で、日本を気に入っていたと考えられています。
最後に
北海道の酪農に深い影響を与えたエドウィン・ダンについて、簡単にわかりやすくまとめてみました。
ちなみに、札幌に真駒内にはエドウィン・ダン記念公園があります。
その中にはエドウィン・ダンの生涯や功績、遺品などが展示紹介されているエドウィン・ダン記念館も。
札幌観光のついでに寄ってみるのも楽しいのではないでしょうか。