明治初期の北海道開拓では、開拓使が招いた御雇外国人の存在が大きなものでした。
その中でも特に、開拓使長官にもなっていた黒田清隆に招かれた、ホーレス・ケプロンについてまとめてみました。
かなり簡単にさっくり、要点だけまとめています。
北海道の明治時代が気になるけど、難しくて長い話は読みたくない!
という方にオススメです。
ホーレス・ケプロンって誰?
黒田清隆がアメリカの大統領から紹介してもらった農務局長。
1871(明治4)年に来日したおじいちゃん(60歳代)です。
1874(明治7)年の5月まで約4年日本、主に東京に滞在。その間で実際に北海道へ足を運んだのは3回なんだってさ。
札幌の大通公園で黒田清隆と並んで銅像が立っている人でもあります。
ケプロンから紹介された様々な専門家によって北海道の地質や気候、測量なども行われています。
黒田清隆が箱館戦争で助命した榎本武揚とは、北海道を開拓する意見が食い違い対立していたそうで。
人柄はすごく良い人!というより、人間味のある意地悪さがあったようです。
ホーレス・ケプロンの提案
札幌の港は冬に使いにくいから室蘭の港と繋がる道作ろう!
北海道は稲作しにくいから麦作って主食パンにしよう!
北海道の農地広いから馬使った様式農業が良いと思う!
牛育てて牛乳飲んだり牛肉食べるのも良いよね!
北海道で育つ作物ってこんな種類があると思う!
開拓使の学校作って良い人材を増やそう!
ビール作ったり缶詰作るのもオススメだよ!
などなどなど。
- 北海道を専門家を通じて調べた上で、
- 北海道で資金作りになる事、
- 移住した人たちの暮らしを成り立たせる方法
を提言(アドバイス)をしていたそうです。
現代まで続く、北海道らしさ、の生みの親の1人とも言えるでしょう。
と、北海道の気候を踏まえて麦作りを勧めるケプロンに従って、開拓使や屯田兵は当初、米作りを制限していました。
ただ、開拓している人々は米で生きていた日本人なので、明治初期から北海道の各地で米作りは試されていました。
サッポロビールとして今や有名な開拓使麦酒醸造所ができるきっかけもケプロンだった、と言われています。
ケプロン報文
また、ケプロンはアンチセルとワーフィールドという、学者さんをアメリカから連れてきていました。
この2人を主にして調査隊が組まれ、北海道を調査しています。
この調査結果を、明治4年にケプロン第一報文として報告書をまとめています。
その後、改めて出された開拓使顧問ホーレス・ケプロン報文が『ケプロン報文』にあたります。
依田勉三もこれ読んで十勝って土地が良いらしい!ってなったそうな
色んな移住者の参考書になったんだろうね
最後に
北海道内各地に点在する郷土資料館や博物館では、ホーレス・ケプロンの名前を見る事が何かと多い印象です。
クラーク博士より早く日本に来て、滞在期間も長く、北海道開拓の基礎になる考えを示した人がホーレス・ケプロンだったと覚えておくと良いかと思います。
米が作れないんだから麦でパンを作れば良いじゃない!