趣味で北海道の歴史の事を調べたり、史跡や博物館巡りをしています。
その中で十勝に残る太平洋戦争との関係について調べる事もありました。
先人カード巡りというイベントで『バロン西』について知ったり、大樹の旭浜へ釣りをしに行った時にトーチカ群を見たり。
北海道空襲があった、という事程度しか知らなかったので色々勉強することができました。
- 1944(昭和19)年に陸軍第七師団が駐在
- 陸上戦に備えていた
ざっくり簡単にいうと太平洋戦争末期、日本の国土での陸上戦に備える必要がありました。
そのため北海道にいた陸軍・第七師団が旭川から帯広に司令部を移して活動していたんですね。
帯広百年記念館ではあまり戦争時の話題に触れられる事は少ない印象ですが、帯広は短いながら『軍都』として扱われていました。
- 北海道と戦争の関係について肌で感じたい
- どんな戦争遺構があるか知りたい
- 北海道空襲以外の話を知りたい
という方の参考になれば幸いです。
帯広
さかえ公園の防空壕
公園にぼこっと盛りがあった不思議な部分がなんと防空壕だという公園です。
偉い人や重要な書類の為の防空壕なので小ぶり(?)なんですね。
この公園の周辺に第七師団が本部として使っていた十勝会館があったようです。
今では十勝会館の姿を写真で見る事しかできませんが、帯広の郷土史についての本を読んでいると名前がよく出てきます。
帯広の森の掩体壕
戦闘機を隠すために作られた、コンクリート製のもので、太平洋戦争末期に小さいものが46基、大きいものが7基あったのだとか。
今残されているのはこの一つだけで、数年前まで有志によって飛行機のオブジェもおかれていたようです。
帯広の森野球場の向かいあたりの茂みの中にありました。
夏の時期だと鬱蒼と木々が茂っていそうですが、冬に行くと虫もいないのである意味快適でした。
1930年代後半からあった旧陸軍の飛行場があった場所で、今では帯広自衛隊と帯広の森の敷地になっています。
緑ヶ丘公園に浜松の鏑部隊が駐在して飛行場になっていた、という話も聞いた事がありますが、帯広には複数の飛行場があったんですね。
音更
戦車退避壕跡
音更町史跡文化財マップによると、(https://www.town.otofuke.hokkaido.jp/kyoiku/bunka/shiseki_bunkazai_map.html)
1944年に音更には、北部軍令部戦車隊が軽戦車など約60両を配備していました。この戦車を隠す為に作られた防空壕で唯一残っているものなのだとか。
車道からははっきりと確認できませんでしたが、遠い林の中にそれらしいものを見る事が出来ました。
戦車の防空壕がある、という説明看板を見る事が設置されていました。
陸軍は思っていたより広域に展開していたんだなと改めて思いました。
大樹&広尾
トーチカ
十勝だけでなく、北海道だと道東の海岸線によく見られる、防衛の為のコンクリート製のものです。
太平洋戦争末期に、敵が海岸から上陸して来た場合に備えて作られました。
説明すると長くなるので、
トーチカについて詳しくはコチラ↓をどうぞ
本別
本別町歴史民俗資料館
軍馬補充部十勝支部が存在した本別の資料館です。
北海道空襲の時にも被害が大きく、夏休みの時期になると、特別展示も行われています。
本別と馬と戦争の話について詳しくはコチラをどうぞ↓
本別仙美里駅
かつて、仙美里駅から本別で育てられた軍馬達が旅立っていきました。
その関係で仙美里駅跡では軍馬のことやバロン西についての説明を読む事ができます。
また、本別の農業大学の近くには軍馬慰霊碑もあり、本別と馬との深い関係に触れる事ができます。
バロン西についてはコチラをどうぞ↓
最後に
十勝で今も見られる太平洋戦争の跡を簡単にご紹介しました。
私がまだ行けていない&気づいていないだけできっとまだまだたくさんある事かと思います。
十勝以外の北海道各地でも様々な戦争の跡を見る事ができるので、
北海道=都会からの疎開先、戦災などで移住した人がいた
というだけでは無かったんだと肌で知りたい時にオススメですよ。
陸軍第七師団について知るにはコチラをどうぞ↓