北海道開拓の歴史の中でも、監獄にまつわる事に興味がある十勝民・おかめです。
今回は、十勝監獄の囚人などが道を整える先駆けとなったと言われている、
士幌町糠平湖周辺で見られる名残について、実際に石碑を見て調べてまとめた事を紹介したいと思います。
- 十勝監獄って何?
- 緑ヶ丘公園くらいしか石碑を見た事ない
- 糠平に行く途中にある石碑って何か気になってた
- 音更山道碑ってどこにあるのか知りたかった
- 十勝監獄の拓いた道を知りたい!
- どうやって糠平から帯広まで木を運んだの?
- 明治時代と大正時代で二回囚人が工事したって本当?
と思っている方の参考になれば幸いです。
上士幌町・糠平にある石碑
音更山道碑
“音更”山っていうからてっきり音更町にあると思っていたら違いました。
実際は上士幌町で、何だったら音更山は大雪山系の山々の中に入っていました。
石碑自体もそこまで大きいものでなく、後ろの岩壁の色とほぼ一緒。
なので、うっかり通り過ぎました。
糠平の町に入ってからUターンしましたが、じっくり見にくい場所に建っているのも事実。
じっくり見たい場合は、鱒見トンネルの近くにある駐車スペースの活用がオススメです。
石碑の文字自体はもう、経年劣化でほぼ読めません。
なので、石碑の下にある説明文を読むと何が書いてあったか分かるようになっていました。
- 囚人たちが大正7年に王子製紙に雇われて、人が通れるくらいの細い道だった場所をしっかりした道に切り拓いた。
- 昔はユウンナイって呼ばれてる場所だった。
- 6,000人くらいの囚人が看守に監視されながら頑張った
- 夏は音更川に木を流して川で運んだ
- でも囚人の拓いた道は半分くらい糠平湖の底に沈んでる
- ぶっちゃけこの岩壁の足元に流れてる音更川の川幅も昔よりめっちゃ狭い
分かりやすくまとめると、大体こんな事が書いてあります。
ちなみに、元々この場所に置いてあったわけではなく、道路工事の後に移動されてここにあります。
糠平道路の碑
という事を記念して設置された石碑のようです。
この道のお陰で糠平を通って三国峠を抜けて道北に行くのがスムーズになったんだ!
喜んで語り継いでくれ!
みたいな事が書いてあります。
この石碑の近くには糠平展望台に至る道もありました。
また、この場所にくる途中には、旧士幌線の橋も2つありました。
なので、昔の線路・風景を感じるのが好きという方だとすごく楽しい場所なんだろうな、と思いました。
元小屋ダムという名前
石碑ではないのですが、道の途中で見つけられる、囚人による道路開削の名残の一つです。
糠平湖までの道を通っている途中、元小屋ダムの名前がある看板を見つけました。
この“元小屋”という名称はアイヌ語に当てたものだとか、そういう地名だった、というものではありません。
十勝監獄の囚人がこの周辺に作業をする間、寝泊まりをする“元小屋”という即席の小屋を建てていた場所だったのです。
本などで名前だけ聞いた事があったので、ここか!という気持ちになりました。
立ち入り禁止となっているので、この先はどうなっているか分かりませんでした。
十勝監獄と糠平の道
どうして帯広から離れた上士幌町・糠平に十勝監獄の囚人が道を拓いたのか?
について簡単に紹介していきたいと思います。
明治に囚人が拓いた道
十勝分監(後の十勝監獄)を建てるのに使う木材を調達するため、作られた道が今の糠平道路の先駆けとなっています。
- 明治25年に監獄建設用の木材を伐採する目的で囚人が山に入る
- 当時は道の無い原始林だった
- 自分たちの食料や道具を背負って囚人は山に入った
- 帯広から約3日かけて作業現場に到着。
- 医者も囚人の中から出すという自給自足ぶり
- 追加の物資は別に輸送隊を作って元小屋に運ばれた
帯広から約70㎞の距離を3日かけて歩いて現地へ行き、木が生い茂る中を斧などを使って人力で切り拓きました。
刑期が5年以上の者50~60人の団体を入れ替わり立ち替わり、道路掘削に使役させられていたのだとか。
監獄用木材はどう運んだの?
木材を陸に揚げた音更のあば所
今でいう音更町木野辺りで陸にあげて、木軌道を利用して、監獄の建物を作っている場所(緑ヶ丘公園周辺)に運んでいました。
あば所を漢字で書くと、網羽所という字になるようです。
ちなみに、音更出張所は今の音更木野支所(木野地域町民センター)にあたる場所にあった、と言われています。
木軌道ってなに?
十勝川の近くから大通り10丁目までを通り、帯広駅がある場所を通る形で斜めに走っていたのだとか。
材質は硬くしっかりした、クルミなどで作られていたと言われています。
その上をトロッコを走らせて木材を運びました。
大正に囚人が馬車も通れる道にした
その為、大正時代に入って輸送をスムーズにする目的で馬車も通れる道幅にする工事が行われます。
- 紙を作る為の木がたくさん欲しい王子製紙が囚人を雇って道を作った
- メトセップ川から元小屋までの約12キロ
- 約3ヶ月で馬車も通れるくらいの道を作った
- 約6,000人の囚人が使われたとも言われている
- 特に黒石平が難所だったので記念して石碑を建てた
糠平湖について
ついでなので糠平湖についても簡単にまとめてみました。
写真は全て冬の糠平湖(2019年1月)となっています。
糠平湖は人造湖
そのため、糠平湖の湖底に監獄の囚人達が開いた道も一部水没してしまったのですね。
また、音更川も昔よりも細い川になったのだとか。
タウシュベツ川橋梁
糠平湖といえば、タウシュベツ川橋梁が有名かと思います。
と言われ続けている、旧士幌線時代に作られたコンクリート製の橋です。
崩落が進んでいるそうで、本当にいつ崩れるか分かりません。
アイスバブル
2019年1月にワカサギ釣りに行きがてら見てきました。
湖の底にあるメタンガスが凍り付いて、白く見える不思議な世界が広がっていました。
たまたま積雪が少なかった年だったので、流行に乗り遅れすぎるタイプでも見に行く事ができたのです。
写真にも少し映り込んでいますが、ソレルのカリブー大好きです。
最後に・十勝の史跡事情体感
士幌・糠平湖に残る十勝監獄の囚人の足跡についてまとめてみました。
十勝の歴史に関する史跡は恐らく他の地域よりも『石碑として残されている』場合が多く、その場所でしっかりと紹介されている事は限りなく少ないと思っています。
実際、帯広から音更、上士幌を通って糠平湖まで行きました。
その途中の音更の郊外の道に“寺子屋”の石碑の他、3・4個くらいの石碑や説明板のようなものを見かけました。
雄大な景色を見るのも良いですが、道にある石碑にちょっと目を向けてみると、その土地自体への見方も変わる事かと思います。
なんか石碑があるな、と通り過ぎるだけでなく、何の石碑だろう?
程度にでも興味を持つと、ドライブの楽しみが広がるのでオススメですよ。
十勝監獄についてはコチラもどうぞ↓
十勝監獄ってそもそもどうしてできたの?についてはコチラをどうぞ↓
十勝監獄が出来て帯広はどう栄えたの?についても詳しくまとめてあります。